Room2 Graphic Posters
グラフィックデザインとは
わたしはデザインにコンプレックスを感じていました。その理由をひとことで言いつくせば、デザインに悲しみは盛れない――と。ただ単純に割り切って考えていたからに外なりません。そしてこの考えのしこりは、いまもって持病のように時々痛みます。にもかかわらず私はグラフィックデザイナーの仕事を選びました。ただ、大へん幸福なことに私は友人に恵まれていたことで、仕事というものの、並々ならぬ重さと、美しさを身近に教えられました。
もう一つは日本宣伝美術会が結成されて、多くのすぐれたデザイナーと親しく接する機会をもつようになったことが、私にデザインを開眼してくれました。
いま私はこの仕事にたずさわっていることに誇りを感じています。
いつの日にか、かなしい、カナシイ、デザインをものにしたいと思っています。
とりもなおさず本格の仕事は、ヒューマニティを土台にしたものでなければならないでしょうし…。
(森のポスターに添えた文章より)
■日本宣伝美術会 通称「日宣美」
戦後、古い日本広告会に属するのが嫌だといって、山名文夫、亀倉雄策、早川良雄、原弘、大橋正、山城隆一らが、日本宣伝美術会 通称「日宣美」をつくりました。1951年に「日宣美」ができると、日本広告会に所属していた人たちは、「東京商業美術家協会」に流れ、東郷青児氏が「二科会商業美術部」をつくり、この「日宣美」と3つに分かれることとなりました。53年からは作品公募を開始、新人の登竜門となる。国際デザイン会議への参加など、海外との交流も活発に。1970年、学生運動の高まりとともに批判をうけ、東京・名古屋・大阪の三都市で、大々的に解散展が開催された
■「今日の商業デザイン展 グラフィック’55」
通称グラフィック’55は、伊藤憲治、大橋正、亀倉雄策、河野鷹思、早川良雄、原弘、山城隆一の日宣美主要メンバー7人によって開催されたグラフィックデザイン展です。招待作家のポール・ランドの作品を加え、1955年に開催されました。それまでの日宣美などのデザイン展におけるポスターの多くは展覧会のために制作された原画でしたが、この展覧会はクライアントの依頼で制作・印刷され、実際に使用された作品が展示されました。つまりこれは、画期的な正真正銘のグラフィックデザイン展でした。「日々の仕事のなかで蓄積された結果がそのまま純度の高いものであるべき」という宣言文が同時代のデザイナーたちを啓蒙し、日宣美にも多大な影響を与えました。